早熟の天才の育て方

さよなら、天才 大谷翔平世代の今を読んで、仙台育英の須江監督が、指導者は早熟の天才の育て方、育成プログラムを確立しなければならないと言っていて、いろいろ思うところがあった。

スーパー中学生などと騒がれた少年が、その後、見なくなることはよくある話。
どうやったら理想的な成長曲線を描くことができるのか。


俺にはスポーツの才能は無かったが、正直なところ、勉強については、あんまりやらなくても、できていた方だし、「あと、これとこれをやれば、たぶんこれぐらいの点は取れるので、まぁいいか」という感じで、学生時代を過ごしてきた。嫌なガキだ。

壁に当たるということもなく、そこまで勉強しなくても、どの学年でもクラスの上位にいたし、高校時代は勝手に進学クラスに入れられた。

受験勉強もそこまでやっていなかったと思うし、休み時間に勉強している奴よりも成績は良かった。
「なんで休み時間に勉強してんの?」

学習塾にも1年ぐらい通わされたのだが、あんまり記憶が無い。塾に行っても行かなくても大して変わっていなかったように思うので、何もしてなかったのだろう。ちょっと両親には申し訳ない気もする。

教室の一番前で先生の話を聞いてるくせに勉強できない奴はいっぱいいたし、教科書に線ばっかり引いて、わけわからなくなってる奴はバカにしていた。俺の教科書はかなりきれいな方だったと思う。

それで、あっさり六大学に現役合格していたので、同級生は不思議がっていた。
俺より勉強してて不合格になってる奴の方が、よっぽど不思議だったけど。嫌なガキだ。


今になって、子供の頃、めちゃくちゃ勉強してたらどうなってたかな?と思うことも無くはないが、
自分は飽きっぽい性格だし、努力する才能が無かったので、どうにもならなかったと思うし、そもそも学校の勉強というものは好きじゃなかった。

好きじゃなくても、そこそこやれば、成績は良かったので… やっぱり、天才かも。 嫌なガキだ。


そんな俺の考える「早熟の天才の育て方」は、飛び級制度だと思っている。

小学2年生でも、算数だけは6年生の授業を受けるような、実力に応じて、常に上を目指せるような制度が構築できないものかと思う。

小中学校の勉強というのは、落ちこぼれを作らないことが重視されているので、上を目指す人にとっては不幸な制度というか、蓋をされているような感じがする。

実際に窮屈に感じたし、この感じが嫌で、学校の勉強が好きじゃなくなったように思う。
「え?これいつまでやんの?」みたいなことをいつも思っていた。

ただ、勉強や個人競技なら飛び級制度もいいのかもしれないが、団体競技の場合、スーパー小学生が高校の野球部で活躍するようなことは、やはり難しいのだと思う。それこそ早々に潰れる気がする。

そういう意味では、学校とは団体競技なのだと思った。
故に、早熟の天才を育てるのは難題だと思う。